2016年07月27日

【報告】第23回フランス文化講座&パリ祭パーティー

文化講座は「映画のなかのフランスワイン」というタイトルで、会員の末定直三さんがお話しされました。ライブハウス「北ノ庄クラシックス」で、一般の方を含めて27名の参加です。大きなスクリーンに映し出された映画。思わず引き込まれてしまいます。

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名調子で解説が進みます。ワインがさりげなく、しかし重要な意味を持ちながら出てきます。ん?…でも、こうしてみると、白ワインってなかなかないのですね。やはり、赤ワインの怪しげな、そして人を惑わすような深紅の色合いには負けてしまうのでしょうか…。いやいや、白ワインではありませんがシャンパン! 泡がグラスの底から立ち上がるだけで、とても華やかな雰囲気と知性を秘めて映画の中で活躍しています。黄金の液体とグラスの底から立ち上る無数の泡。素敵ですね。

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映画は、「ミッドナイト・イン・パリ」「七年目の浮気」「シェフ 三ツ星レストランの舞台裏へようこそ」「サイドウエイ」「昼下がりの情事」「フレンチ・キス」「007/ダイヤモンドは永遠に」「カサブランカ」「プロヴァンスの贈り物」〜あっという間に予定時間を軽々オーバーして、次のパリ祭のパーティーへ。

パーティーは、一般の方を含めて33名の参加でした。映画の余韻を残しつつ「プロヴァンスの贈り物」に出てきたように、ロゼワインの中に氷を入れたフルートグラスで乾杯です。お料理は、アルモニ・ヴァンヴィーノさんのフレンチ。シニア・ソムリエールのAさんがワインをサービスしてくださいました。壁には、文化講座で使用した映画の場面が映し出されて、会場の雰囲気を盛り上げます。アルコールのお手伝いもあってか、話が進みます。

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一般参加ではありますが、ご夫婦でフランスから里帰りをされたMさん(奥様はフランス人)や、その場で入会を決められたHさんご夫妻の自己紹介等も織り交ぜながら、あっという間の2時間半でした。

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なかなか話は尽きませんが、最後に参加者全員でパチリ!

文:T.T



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2016年03月25日

【報告】第22回フランス文化講座&春の交流会

今立の和紙問屋杉原商店の代表として、和紙の用途開発、企画・販売などを世界的規模で手掛けており、最近は「第1回三井ゴールデン匠賞」を受賞された杉原吉直さんを講師に迎えて、「世界の中の和紙」をテーマにお話をしていただきました。

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講演の内容は多岐にわたり、西洋紙と和紙の歴史から始まり、両者の違いや特徴、レンブラントが使った和紙の話、フランス他ヨーロッパ諸国での和紙の使用例等々。さらにNNN Worldの和紙特集の番組のビデオを見せてもらい、最後には『越前紙漉き歌』を歌ってくださいました。
質問コーナーではたくさんの活発な質問が出て、あっという間に終わった1時間半でした。杉原さんありがとうございました。

文化講座の後は交流会が行われました。
講師の杉原さんもご参加いただきました。「越前和紙」の魅力をさらに知りたいと、交流会では杉原さんを囲んで盛り上がっていました。

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また、今回の交流会は、当協会の設立当初から会員として、またフランス語講座の講師として協会の運営に貢献してきてくださったアレクサンドル・ルロワ・コルト氏がフランスに帰国されるため最後の参加となり、別れを惜しむように、みんなルロワ氏との会話も楽しみました。

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次回の文化講座と交流会は7月2日の予定です。どうぞお楽しみに〜!


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2016年01月08日

【報告】第21回フランス文化講座『パリ・モードの世界で生きて』

今回の文化講座は、協会初のモード(ファッション)をテーマにした講演会でした。

講師を務めたのは、パリでモデリスト(パタンナー)として活躍していた会員の福岡絹恵さん。経歴をうかがうと、国内のコシノヒロコで勤務後、 2006年に渡仏、ジョン・ガリアーノ(自身のメゾン。ディオールなどのデザイナーを経て、いろいろあった後、今はメゾンマルタンマルジェラのク リエイティブディレクターも務める)、バルマン(ピエール・バルマンが設立したメゾン。クリストフ・デカルナンが就任後にコレクションを再開した ころ)、サンローランパリ(「イブサンローラン」の頃に入社し、サンローランパリに変わる時期にも重要な仕事!をされたとのこと)など、パリでの 8年はファッショニスタならクラクラする経歴の持ち主です。

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まずフランス語の話。福岡さんは、フランス語ができない状態で渡仏されたそうです。現地の専門学校で学んだ時にも授業の内容で理解できる部分は 10-20%程度。聞き取った単語をメモして、家に帰っては調べる毎日だったそう。とはいえ、日本での実務経験があり、成績はよかったそう。

さて、学校を終わってからは「なんでこの話を、この福井で聞いてるの」って内容がノンストップで続きます。まず研修したジョン・ガリアーノのメゾ ンではタイミングが合わずに採用に至らず、次に決まったのがバルマン。ここから、華々しい経歴が始まります。作品がプランタン(デパート)のポスターに採用され、マドンナやマイケルジャクソンの衣装などを製作。ただ仕事は極めて多忙を極めていたそうです。

次のイブサンローラン(当時)ではもっとよい条件で働けたとのことですが、そこでデザイナーがエディ・スリマンに変わる時期も経験されています。 講演では、そのエディの(女性)服作りの考えや人柄、ちょっとプライベートな立ち入った話なども聞けました。そう、あのガリアーノも、実際はとてもまじめな方だそうです。

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ところで、パタンナーという仕事は、端的に言うとデザイナーのデザインを実際の服に落とし込んでいく仕事。バルマンのデザイナーは上手なデザイン画を描くタイプでしたが、デザイナーによってはシーズンのコンセプト的な考えを伝え、そこから服を作っていくタイプも多いとか。それでもセンスが半端なくよく、すばらしいコレクションを作り上げることができるのだそうです。

このほかにも衣装の製作については、ダフトパンクやブラピ+アンジー、ケイト・モスが結婚したときのマリエなども手がけられました。思い出の作品として上げられたバルマン時代の革のドレスは百以上のパーツで作られていて、実際に服の一部として使われたパーツの細工は現物を見せてくれましたが、こうした話のところどころから、モードを支える手仕事のすごさも伝わりました。またメゾンによっては、働く人同士のあんなことやこんなことなど暗黒面のお話もちらり。超有名メゾンでも、アトリエの雰囲気が超悪いところもあるとかないとか。

紙幅を押さえるつもりなのに、これだけ書いてまだ内容の10%も伝えられていないし、本当に面白かったこと(各種裏事情等)は書けない。それくらい楽しめたお話でした。
(デザイナー氏各位の敬称略)

文:Y.H




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